第20代高校生平和大使スイス訪問

20代目となる高校生平和大使。今年も、核兵器の廃絶と平和な世界の実現を願う被爆地広島・長崎と日本の市民の声を世界に向けて訴えるために、スイス・ジュネーブを訪問しました。昨年、第19代平和大使が訪問したのは、ジュネーブの核軍縮作業部会では、まさに核兵器禁止条約制定に向けて大詰めを迎えていた時期でした。今年は、77日に核兵器禁止条約採択が採択され、世界が歴史的な一歩を踏み出した年の訪問となりました。

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UNIグローバルユニオン訪問

ジュネーブの隣にニヨン市にある、労働組合の世界組織UNIグローバルユニオンは、2010年の長崎での総会開催が縁で訪問が始まり、今年で10回目となる。初めての訪問先で緊張する平和大使たちを、いつも温かく歓迎してくださる。18カ国31人の職員の皆さんと交流することができた。

 世界YWCA訪問

ジュネーブに戻り、女性の権利とエンパワーメントについて活動する世界YWCAへ。第3回平和大使依頼、毎年訪問している。9カ国12人のスタッフが出迎えてくださる。パレスチナ出身のスタッフから、パレスチナの平和構築活動について報告があり、平和大使たちは真剣に聞き入った。

 軍縮会議日本政府代表部訪問

1時間の表敬訪問には、高見澤軍縮大使はじめ日本の外交官の皆さんが出席し、高校生平和大使と意見交換をした。

18時からのレセプションには、ロシアやフランスなど核兵器保有国を含め約30カ国50名の大使や外交官の方々も参加。代表で広島の平和大使が、被爆三世として祖父の被爆体験をとおして、核兵器廃絶を訴えるスピーチをした。その後、高校生たちは外交官の皆さんと積極的に交流、高校生平和大使や署名活動について質問されたり、核兵器廃絶について意見交換をしたりした。高校生の活動について賛同や激励の声もいただいた。高校生平和大使にとって、貴重な経験となった。

 822日 

 国連欧州本部訪問

軍縮会議冒頭を傍聴したのち国連内見学。午後から軍縮部を訪問し、平和な世界の実現についてのスピーチと214,300筆の署名を提出した。

22名の平和大使は、日本の各地から、自分たちの地域の問題や平和に対する考えや思いを持って参加している。長崎・広島からは、被爆三世として祖父母への思いや署名活動を通してもらった市民の声を、東北からは震災の風化と被爆の風化、原爆と原発の被害を重ねて、静岡からは第五福竜丸の被爆者の思いを抱いて、核兵器廃絶を訴えた。被爆体験や家族の戦争体験を聴いた大使は、継承する使命を胸に平和な世界の実現を訴えた。22人で気持ちをそろえたスピーチになっていたと思う。

軍縮会議の間を縫って時間をつくっていただいた軍縮部ジュネーブ事務所長のカスペルセン氏は、「あなたたち若者の活動は大切だ。続けてほしい」と励ました。そして、全員で署名をカスペルセン氏に手渡した後、高校生の質問に応じてくださった。核兵器廃絶のために大切なことは、そのために若い世代は何をすべきか、若者の平和活動の意義は・・・・。カスペルセン氏は、全ての質問に対し、具体的にわかりやすい言葉で丁寧に答えられた。1時間弱だったが、平和大使にとって濃密で意義深い時間だった。















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ジュネーブを離れ、首都ベルンでの署名活動

ドイツ語圏のベルンでの署名活動は、ここ数年行っているが、数日前に起こったスペイン・バルセロナでのテロ事件の影響を受け、横断幕を広げての活動は制限された。そんな中、ドイツに留学経験のある平和大使がドイツ語のチラシをつくり、道中のバスの中で即席ドイツ語講座をするなどして準備していた。懸命に話しかけても、「日本国内でやりなさい」と言われたり、署名を断られることもあった。日本が核兵器禁止条約に参加しなかったことが影響していたのかもしれない。それでも1時間足らずで98筆の署名が集まった。

 スイス北東部アッペンツェル地方へ

トローゲン州立学校訪問

昨年に続き、今年もトローゲン州立高校の英語科の学生たちと交流することができた。

鶴を折ったり夕食を共にしながら交流。

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ハイデン アンリ・デュナン博物館訪問

ハイデンは国際赤十字創始者アンリ・デュナンが晩年を過ごした。長崎大学医学部有志より、長崎の鐘のレプリカが贈られ、博物館の庭に設置されて大切に守られている。特別の時にしか鳴らさないという長崎の鐘を、全員が撞かせていただいた。ランチ後には、トローゲン学校の皆さんも合流。スイスと日本の若者同士が直接交流でできる貴重な機会をいただいたことに感謝!

 ハイデンからチューリッヒ空港に向かい、韓国を経由して福岡へ帰国の途に。825日福岡からはバスで長崎へ。

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長崎で、全員での帰国報告会ののち、解散。長い平和大使の旅が終わった。しかし、本当の活動はこれから始まる。

  

 高校生平和大使が誕生した20年前、国連軍縮会議は何も決められない会議と揶揄されていました。核兵器の廃絶を心から願う被爆者や日本の市民の声を届ける高校生平和大使の訪問は、軍縮会議を励ますといわれるようになりました。2017年、ついに国連は核兵器禁止条約を採択し、世界は核兵器廃絶への歴史的な一歩を踏み出しました。しかし、残念なことに唯一の戦争被爆国である日本は、否定的な立場を崩しません。

ひとり一人、個性あふれるPIECEが集まって、大きなPEACEを創ろうと動き始めた22名の第20代高校生平和大使。スピーチでは、長崎の平和大使が、反核運動の先頭に立つ長崎の被爆者谷口稜暉さんの原爆で真っ赤に焼かれた背中の写真を示し、谷口さんの言葉を伝えました。「原爆をつくった人間、つくらせた人間、使った人間、使わせた人間、そして原爆を落として喜んだ人間。これは人間ではない」

高校生平和大使が帰国してまもない830日、その谷口さんが亡くなりました。出発前に谷口さんを見舞っていた平和大使は、大きなショックを受けました。3日後の92日、長崎の核兵器廃絶運動を理論的に牽引した土山秀夫さんが亡くなりました。核兵器禁止条約が採択された一方で、核の脅威が高まっている現実があります。

高校生平和大使、高校生1万人署名活動は、これからも愚直に核兵器廃絶と平和な世界の実現を求めて、活動を継続させていく決意を新たにしています。
第20代高校生平和大使の活動をフォトライブラリーに掲載しています。併せてご覧ください。


 

 

 

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